2006年11月30日より
散歩をしていると、大音量で音楽を聴きながら(鳴らして)走る車を見かけます。そんな時私は(事故るなよー!)と、つぶやいています。大音量により、聴覚による情報が不足するので、視覚で補う事になります。そんな状況で私は、何度か怖い思いをしたからです。そして、火曜日の朝、TVで京王線の事故を見て。昔を思い出しタラ〜・・・でした。(親になってからは真面目にやっているのでネタが無いのです。) 場所は、同じく京王線。中河原駅と府中駅の間で、中央高速の高架橋と平行した道でした。B君を乗せて夕方のラッシュの中をフェアレディZ(GS30)で、車一台分位づつ進んでいました。車内にはディスコの音楽が鳴り響き。B君は助手席で、踊りの振りをしていました。
発進、停止の単調な繰り返しをしているうちに。妙に明るい場所に止まったので、不思議に思い対向車を見ると、何か棒が下りて来た?・・・。周りを見渡すと、そこは警報機の鳴る踏み切りの中でした。逃げられる場所は、右後ろの対向車線のみ。ギヤをバックに入れ、後を向こうとした時。前の車が動き、車一台分の隙間が出来たので、下りて来る遮断機の下をかすめて脱出!B君と言葉を交わす間も無く、高架橋の下から現れた列車が、勢い良く通過しました。踏み切りに気が付かなかった原因は、大音量の音楽と話しに夢中になっていた為でした。列車を止めると補償が大変な事は知っていましたが、東京の列車を止めたら幾らになるんでしょうね。ちなみに私の場合。上りと下りが、ほぼ同時に通過したので。運が悪ければ、そんな心配すら出来なかったと思います。



2008年5月15日より
運転中にチョコレートの口移しで事故。と、ニュースが。事故は、昨年末の事で、事故の原因になった女性も逮捕されたという報道でした。(なんと、おバカな!)と思いましたが。私も大昔、運転を邪魔された事を思い出しました。
それは、フェアレディZ(GS30)の頃でした。犬と会話が出来るという女の子を乗せて走っていると。前からU君の車が来たので「あっ!U君だ。」と言うと。女の子は、運転席の窓から手を振ろうとしたのです。いきなり腕の上に腹這いで乗られ。40数kgの細身とはいえ、前が見えなくなり、急ブレーキで停車しました。(確か自転車があったよな?と。)前を見ると2m位先に自転車がありました。それでどうしたかって。「ケガしなかった?」と聞いただけでした。この子には、もう一度ヒャッ!と、させられた事がありました。食事の為。通称30m道路を走っていると、突然私の車の三連ホーンが鳴ったので。助手席を見ると、女の子が笑っていたので、何だイタズラかと思っていると。左側を走っていた大型トラックが、強引に私の前を塞いだのです。身の危険を感じた私は,トラックに幅寄せされながら中央分離帯の隙間を使いUターン(50km/h位で)。女の子「何処行くの?」と。私「気が変わった・・・。ところで何かした?」と聞くと。「トラックのオジサンが、こっちを見ていたから“あっかんべー!”してやった。」と。「フェアレディZの助手席に乗っている女見ると石を投げたくなる。」と言っていた女の子もいたので。あっかんべー!に三連ホーンでは怒っても不思議ではありませんでした。(勉強は出来るけど常識の無い奴だ。と思っていましたが。今考えると、遊園地の乗り物に乗った子供のような気持だったのかもしれませんね。)チョコレートでの事故。私は状況判断の出来なかったドライバーの責任だと思います。



6月12日
このページ。昔話の反応は多いので。続、犬と会話が出来る女の子“脅された!”です。チョコレートでの事故で思い出した女の子とは同学部だったので。私が講堂に入ると「こっち、こっちー!」と手を振るので。一緒に講義を受け、一緒に昼食を食べる事が多かったのです。そんな、ある日。体の大きな坊主頭の兄ちゃんが、親しげに話かけてくるようになりました。(変な奴に好かれたな?と思っていると。)1週間位した頃。「あの女に手を出すな!」と言われました。私は、一瞬ドキッ!としましたが。「手を出すなと言われても。あいつが俺のところに来るんだからなー。」と。そして彼に、空手部の先輩に頼まれたと聞かされた時。(私は脅されている事に気がつき。プチッ!) 私「そんな事は、先輩が直接言う事だろ!そんなダサイ奴では、あの女は無理だな!」と(腕力が無いのに、空手部相手にケンカを売ってしまいました。)また厄介な事になったなと思い数日後、フェアレディZ(GS30)で走っていると。その兄ちゃんが対向車線側の歩道を、同じ方向に歩いていたので。対向車線を逆走しながら「お〜い、何処行くの?」と声をかけると。彼はギクッ!っとした表情になったので。私はサングラスを外し「俺だ、俺。送ろうか?」と言うと。彼は何度も頭を下げながら「結構です。」と。私「じゃー、また明日ねー。」と言って、ゆっくりと左車線に戻り。静に、その場を去りました。そして、その日を境に彼は、私を避けるようになり、空手部の先輩も現れませんでした。理由は分かりませんが、なんとか危機を回避する事ができました。(お友達が多いと、いろいろな経験が出来るものです。という昔々話しでした。)
三菱のガソリンエンジン ジープ HJ−58
(フィルム式の8ミリカメラの画像です。)
鮮明な画像は掲載出来ませんが。こんな画像でも、なんとなく雰囲気は伝わると思います。B君と3人で都内を走り回った時のものです。



8月28日
“チキンラーメン50周年”とTVから。チキンラーメンを話題に出来るのはやはり大昔の思い出です。フェアレディZ(S30)を購入して間もない正月の午後でした。福島に帰りゴロゴロしていると、東京のU君から電話があり「チキンラーメン買いに行こうよ。」と。私「何処まで?」U君「大阪。」ささやかな抵抗はしましたが。行く事になりました。翌日。東京で一泊するつもりで、午後から出かけ16時頃、東京のU君宅へ。すると、休む間もなく大阪へ。大阪のM君の家には21時過ぎに着きました。(イカカズノコが大変美味しかった記憶が。) 一気に1,000km近く走ったのは初めての事で。翌朝、寝ぼけ眼でエンジンスタート。(力強い排気音に、凄い車だな!と感動)そして、U君の友達の家を回り、夜N君の家に。N君「駆けつけ三杯だ。」と言って大きめのマグカップにウィスキーを注いで差し出しました。喉が渇いていた私は、一気に半分位飲んだところで・・・。目が覚めると見た事の無い部屋に。(ここは何処?と)周囲を見渡すと、10畳ほどの綺麗な和室の真中に敷かれた真新しい羽毛布団に、服を着たまま寝ていました。しばらく考えると。N君の家に来て、2階に上がり。ウィスキ−を飲んで・・・。ここに運ばれたのか、と。ヒドイ二日酔いのまま京都見物をして。翌日、東京へ。疲れて後部荷室で寝ていると。ゴミ箱に頭から落ちた夢で目が覚めました。何で頭が痛いのかと思い前を見ると、下りのコーナーの連続?(東名高速に、こんな所あったかな?と)スピードメーターを見ると、190km/hに達するところでした。私「ぶつかる時は言ってね。」と言って、また寝ましたが。「分かったよ。」と振り向いたU君には牙があったように見えました。
東京のアパートに一泊し、翌日福島へ。4日間、行方不明だった私が疲れた顔で「はい、おみやげ」と言ってチキンラーメンの箱を渡しましたが。大阪まで行って買って来たと分かって食べた人は何人いたのでしょうね。(当時は、関東・東北では売っていなかったら・し・いのです。)U君の年始回り。電話をすればフェアレディZが玄関先まで迎えに行く。これが、食事で走る便利な高速アッシーの始まりだったのかもしれません



10月16日
話題が無いので甥との会話からです。私「車の運転で、結構難しいのがクラクションの鳴らし方なんだよ。」甥「何で?」と。私「交差点で、後からビービー鳴らされたら、どう思う?」甥「それはイヤだね。」と。私「俺はムカッ!と来るよ。だから、めったにクラクションは鳴らさないんだけどね・・・。」とい会話から。“お尻に火が着いた話。”それは日産のチェリー(1000t)に乗っていた20歳頃でした。福島へ帰る為に東北高速を走っていると、いきなり目の前に3ナンバーのセドリックが割り込みました。反射的にエアーホーン(マーシャル2連)を鳴らし。この野郎!とばかりに横に並び。にらみつけると。なんと、坊主頭に黒いスーツ・濃いサングラスをした5人の怖そうなオジサンが乗っていました。葬儀帰りの坊さんでない事は判り(やばい!と思い。)全開で逃げる事にしました。(この時だけでしたが。お尻に火が着いたかのように熱くなった経験をしました。)必死で逃げても差が広がらないので。逃げるのを諦め。他の車の直後について割り込まれないようにすると。その車は横に並びました。私は、うつむきながら横目で見ると。怖い顔のオジサン達が揃って、こっちを見ていました。時間は1分位だと思いますが、とても長く感じました。そして、走り去る後姿を見て、良かったと思いましたが。当時は、矢板インターまでしか開通していなかったので、その先は片側一車線の4号線なので待ち伏せされる可能性があり。パーキングで時間をつぶし、タイヤレンチを足元に置いて高速を下りました。オジサン達はチョットからかっただけのようで、無事に帰る事が出来ました。驚いて鳴らしたとはいえ、相手によっては怖い思いをするんだよ。という老婆心的な話でした。



10月23日
クラクションの話2。フェアレディZ(GS30)の頃。B君に付き合ってもらい名古屋に行った時でした。栄のあたりを走っていると。いきなり目の前を車線変更した車に。また反射的に(この野郎!とばかりに)エアーホーン(ファイアム3連)を鳴らし。一気に追い越すと。
「何か怒っているよ。」とB君。振り返ると、怖そうなオジサンと派手なオバサンが何か怒鳴っているようでした。信号で止まれば面倒な事になりそうなので。「面倒だからブッチ切るぞ!」と言って加速。車が少なかったとはいえ午前10時頃の栄の街を120km/hで走り抜けました。うっかり攻撃的なホーンの鳴らし方をしたばかりに。また、怖い思いをしてしまいました。(この時は、地理を知らないのに、全開で走ってしまう自分がでした。)オジサンには、必死で逃げたように見えたかもしれませんが。予定を考えると。そんな事は、どうでも良い事でした。(大切な用事がある時は、気をつけて走りましょうね。)



10月30日
2回逃げた話が続いたので、相手が逃げた話です。チェリーに乗っていた頃で、福島での出来事でした。夕食後、女の子を乗せて湯野から伊達に向けて走っていると。後ろに車が迫りました。(うっとおしいなー。と思っていると。)間もなく追い越して行きました。しかし、直ぐに追いつき、あまりの遅さに追い越すと。その車は、また私の車を追い越し、ゆっくり走りました。そして、何度か追い越しているうちに4号線に出てしまいました。女の子連れでは無茶は出来ないので。私が後ろの時に路肩に停車すると。その車も停車し、なんとバックして来ました。私は、運転手が車から離れた状況で。Uターンかバックスピンターンで逃げようと構えていると。20代後半の兄ちゃんが窓から顔を出し「お茶しないー!」と。私???。助手席を見ると。女の子がクスクスと笑っていました。前の車のドライバーは、私の返事を待っているようなので仕方なく。窓から顔を出し「簡便してよー。」と言うと。その車は勢良く走り出し、あっという間に桑折(町)の坂を登り、視界から消えてしまいました。もともとカッコイイとか男らしいという言葉とは無縁な私ですが。女の子の前では傷つきますよねー。多分グレーか紺色のカローラスプリンターだったと思います。心当たりのあるお爺ちゃん今なら、お茶ぐらいなら付き合いますよ。



11月6日
女の子と間違えられた話2・3
フェアレディZ(GS30)の頃。女の子と山梨県の昇仙峡に行った時でした。車を離れロープーウェイで山頂へ。そこには、大きな男性のシンボルではなく女性のが祭ってありました。女の子が、笑いながら私の反応を見ているような気がしたので。パンパンと手を鳴らして拝み。早々に見晴らしの良い方に歩いて行くと。岩場に腰を下ろした5〜6人の20歳前後の兄ちゃん達が、一斉に手を振り口笛を鳴らしました。私は後ろに誰かいるのかと思い、振り返ると、誰もいない・・・。まさかと思いながら近づくと。兄ちゃん達は、ピタッと静かになり、下を向いてしまいました。なんとも、ばつの悪いものでした。もちろん帰りの車の中ではバカにされていました。

小田急線沿線の友達と待ち合わせをする為に。Eさんのお宅に車を置いてもらい、徒歩で駅に向かう時でした。Eさんの家から駅前の通りに行く近道の階段を降りていると。八百屋のオジサンが、こっちを見上げて「姉ちゃんー、どこ行くのー!」と。私は周囲を見渡しましたが、誰もいないので。仕方なく「俺、男だけど。」と言うと。オジサンは「紛らわしい格好すんじゃねー!」と怒鳴り。直ぐにハッ!とした表情になり。逃げるように店の中に隠れてしまいました。八百屋さんの前の道は狭く。Eさんの家に行くには、この八百屋さんの前から左折して坂を登る為。オジサンとは良く顔を合わせていたのです。オジサンは、サングラスをしてフェアレディZに乗る私しか見ていなかったので。夕方からのお出かけの為、サングラスを外した私に気がつかなかったのと。赤いTシャツ(ケンとメリーのスカイラインの)を着ていたので、うっかり声をかけてしまったのかもしれません。その後、女の子二人と私で電車に乗っていると。サラリーマン風の兄ちゃん達が1人の女の子に声をかけて来たのです。私は(ふざけるな!とばかりに)「俺の女に手を出すな!」と言うと、驚いた表情で離れて行きました。(“俺の女に手を出すな!”だなんて、恥ずかしい発言のベスト5に入る言葉でした。)後で、もうひとりの女の子が「女3人連れに見えたのかな?」と。私は否定しましたが。八百屋さんの事もあり、3度目が無いことを祈っていました。東北高速で、怖そうなオジサン達に追いかけられた時も、女と間違えられたのかな?と思いましたが。女の子が運転するフェアレディZにブッち切られた。なんて思った人がいたら。それは、とても面白い事ですね。



11月13日
間違えられた話。当時5歳だった娘が2歳の弟に「パパは悪い事をしていないのに。おまわりさんに連れて行かれそうになったんだって。パパ可愛そうだねー。」と説明していた話です。名古屋に住んでいた頃で。平日が休みの時でした。妻に「栄で従妹が経営する美容室に行くので付き合って欲しい。」と言われ、美容室へ。従妹に挨拶をして世間話をしていると「時間がかかるからパチンコでもしてりゃー。」と言われ近所のパチンコ屋さんへ。久しぶりだったので集中していると。右側にいたオジサンが私を突付いて左側を指差しました。私は左側を見ると知らないオバサンが立っていました。(なんだ知らない人だ、人違いだろう。と)またパチンコを続けると。オジサンが「何か怒っとるぞ!」と。仕方なく「何?」と言うと。「何しとるの!」と。私「見りゃー分かるじゃん。」と答えると。オバサンは怒ったような声で「だから、今頃なんでこんな所におるの!」と。私は、変な奴だなと思い。改めてオバサンを見ると。紺色のスーツに黒いショルダーバック(帽子を被れば婦警さん)に。
まさかと思い。免許証を見せると、オバサンは逃げるように店から出て行きました。その様子を見ていたオジサンが「兄ちゃん幾つ?」と聞くので「32」と答えると。オジサンは大声で笑い出しました。私は気分を害したので、美容室に戻ると「えらい早かったにー。負けたん?」と聞かれ「補導されそうになった。」と言うと。美容室にいた知らないお客さんまで爆笑。そして家に帰ると、また爆笑。おそらく親戚中の笑いの種になったと思われます。間違えられた原因のひとつは、その頃流行のフィラ(スポーツウェア)を着ていたので。見る人によっては、高校の体操着に見えたのかもしれません。シューズに靴下、コーディロイのズボンにセーターと上着に、くどいまでのFマーク。オバサンこの紋所を知らんのかー。でした。(最初に年齢を聞いて欲しかったですね。)



11月27日
冬用タイヤへの交換。今回はスタンドで、やってもらおうと思っていましたが。タイヤを見たら、自分で交換してしまいました。ホイルのナットは自分で確認しないと気が済まないので。交換してもらって、また確認する位なら自分で交換したほうが安心だったのです。そんな性格の為、昔は高速道路を走る際には、急いでいても必ず。ナットが締まっている事を確認していました。理由は、イタズラを心配する事もありますが。チェリーの頃、アルミホイルにしようと思いカーショップの人に相談すると。「12インチは種類が少なく適当なものが無いので13インチにしましょう。」と言われ13インチを取り付ける事になりました。そして片側を取り付けた時。前後共フェンダー内に収まらない事が分かり、元に戻し。鉄製の加工ホイルを注文しカーショップを後にしました。しばらく走るとハンドルに違和感があり「何か変だ!」と言うと助手席にいたT君が窓から顔を出し「タイヤが外れそうだ!」と。なんと、カーショップで。一人がタイヤのナットを緩め、もう一人がタイヤを交換していたらしく。タイヤを交換した人は反対側のタイヤのナットが緩めてあった事を忘れて?いたようでした。そんな事があったせいか、未だに他人任せに出来ないのかもしれません。その話をすると唯茂君が「俺は、タイヤが外れた。」という話をします。それは、まだ岡部橋が一車線の頃でした。車検から帰って来たばかりの軽トラックで岡部橋から信夫山に向かって走っていると。突然エンジンが吹け上がったので危険を感じ。左側にあった空地に入ったそうです。その時、ミラーで自分のタイヤらしき物が転がるのが見え。反対車線側の側溝に落ちたタイヤを拾い。ナットはどうしようと思ったら。ナットはしっかり付いていたそうです。タイヤが外れた原因は。車検の際に、後輪の駆動軸とブレーキドラムを固定するナットが緩まないように入れる。1本の割ピンを忘れた為でした。唯茂君のような場合は、自分では防げませんが。タイヤ(ホイルごと)の交換ぐらいは、自分でしたくなるのかもしれません。



2009年12月31日
久しぶりにイニシャルDのアニメを見ていると。藤原拓海って免許を取ったばかりなのに。初心者マークが見当たらないので。甥に「拓海は初心者マークを付けていないけど。初心者マークを付けていたら、もっと面白かっただろうね。」と。「そうだねー。」の言葉に「俺なんか。他の車を馬鹿にしようとしてフェアレディZに初心者マークを付けて走っていた事もあったんだぞ!」と、また馬鹿な話をしてしまいました。でも、イニシャルDの登場人物が「初心者のくせにドリフトだと、ふざけるな!」なんて言うのも面白そうですね。(こういう話の方が。私らしいでしょうか。)