私を振り回したもう一人は、元テストドライバーのM君でした。



ガソリンスタンドで知り合ったM君は、運転の先生?でありメカニックでもありましたが、手の掛かる存在でもありました。恋愛問題はともかくとして、彼には2度運転放棄されました。一度目は、急ブレーキで道路の真中で止まり運転放棄(道路上に障害があったのです。)二度目は、中央高速大月〜河口湖間(対面通行の頃)でした。100km/hで走行中、突然「運転代わろう!」と言って座席後部へ。私は「ふざけるな!」と怒鳴りましたが、彼は笑っていて戻る意志は無さそうだし、スピードは落ちるしで、仕方なく右足を運転席へ。体を移動してから左足を引っ張り(狭いので大変!)やっと運転席へ。この間、車は蛇行し左右のガードレールを避けるのが精一杯でした。ハンドルで体を支えながら加速し、スピードが乗った所でシートを前に引き、脱げた靴を履いて、やっと「死ぬかと思った!」と一言。その後、府中インターで下りた際、住所、氏名、電話番号、車のナンバーを書かせられ全線分を私が支払いました。M君が何をしたかは、地元の人なら分りますよね。花屋のドラテク?Dハンドルは信頼出来る人にだけ託しましょう。
画像中央は、記念?の品です。(さすがに出せませんでした。)





眠気覚ましに、ご利用頂いた二人
夜中に走っているとよく出会うのが11トンダンプに乗るQさんでした。そろそろ寝ようかと思った11時頃、無線で呼び出された事がありました。「ちょっと付き合ってよ」と言われダンプに乗って板橋へ。そこでアスファルトを積んで都内へ。首都高速へ入ると、継ぎ目の度に変な動きが・・・。「ねーこの車、前輪が浮いてない?」と聞くと「分る〜」と、笑っていました。(積載量は倍以上!)私はハンドルを切って少し遅れて曲がる状況に寒気を感じて乗っていました。着いた所は羽田飛行場の滑走路。工事車両が小さく見えるほど広く、紫のランプの間隔も広すぎて滑走路の向きが分りませんでした。工事車両は、ピンクと白のチェックの大きな旗を立てて走っていました。私が「欲しい」と言うと「じゃーあげるよ」と私に渡し、ゲートでは、「風に飛ばされちゃったー。」と。平和な時代だったんですね。彼は、交差点内で3時間も眠った事があったそうで「なんか煩いと思ったら原因は自分だった」と笑っていました。彼は眠気覚ましに無線に出ていたようです。
11トントラックのMさん
「福島の方へ行くから付き合ってくれない?」と誘われ相模原のお宅へ。出発してから「ねー何処まで?」と聞くと「八戸だよ」と。なんか「消防署の方から来ました。」の詐偽みたいな話しでした。八戸には夜に着き高台のホテルにオジサンと一泊(お金の代わりのお礼だったようです。)翌日、荷物を降ろし別の工場で製品を積んで夕方出発。翌朝、横浜の工場へ。さすがに眠くなり座席後部のベッドでウトウトしていると、踏切の警報機の音が煩いなー・・。なんか・・・動いているような・・・?でも、Mさんは、さっき降りたよな〜・・・?ハッ!と気が付き前を見ると、運転手のいない11トントラックが踏切に向かって動いていました。慌ててサイドブレーキを力一杯引くと同時にキーッ!っと急ブレーキの音がしました。それは、トラックが動いているのに気付いたMさんが道路に飛び出して、引かれそうになった音でした。幸いに踏切の10mほど手前で止まりましたが、私がそのまま寝ていたら電車と衝突したのかな〜?



その後、大型を含むトラックは乗用車と比べ曲がらない、止まらない、荷崩れを起こす危険がある。そして、運転手さんにも家族がいる事を頭に入れて走るようになりました。おかげでトラブルは減りましたが、迷惑はかけたかな・・・?