食事の思い出
高校の同級生のT君に教えてもらい。なんとか炊事が出来るようになりました。しかし、スーパーでは玉ねぎは4個1袋、キャベツは最低半分、じゃかいも1袋5~6個とかで。夕食のみに使うので。数日間同じ物を食べる事になり。肉と一緒に食べようと買った玉ねぎは、翌日、味噌汁に入れ、オニオンスライスにして・・・。やっと2個食べて2個捨てる事になりました。一人住まいになって1年位過ぎた頃、なんか顔が丸くなったような気がしたので体重を計ると。約5㎏増えていました。
自動車が無いうちは、自転車で買い物に行くか、スーパーで買い物ををして、長ネギの飛び出した袋を持って電車で帰る事もありました。
      

私は「神経質だな。」と周囲から良く言われていました。自分でも、掃除や洗濯をきちんと、していると思っていました。しかし、自炊生活に慣れた頃でした。食事をしようとして、箸立てから箸を取ると。何か付着しているのです。不思議に思い箸立ての中を覗くと・・・。何と青カビが発生していました。ウワー!こんなので食べていたのかー。と思っても、過ぎた事でした。(箸立ても洗わないと、いけないんだと分りました。)



S30(フェアレディZ 2人乗り)の頃でした。スーパーで鯨の肉を買い、食べた翌日。ひどい腹痛と下痢になり。これは動けるうちに病院に行った方が良いと思い。近くに消化器科の看板があったのを思い出し。歩いて行きました。(とても車を運転できる状態では無かったのです。) 消化器科の看板を確認して入り。ベッドに横になると。いきなり5~6人の若い看護婦さんが取り囲みました。(思いがけない状況に。おい、何するんだよ!と。少々恐怖を感じました。)診察を受け、注射をされて。しばらく休んでいるように言われ、横になっていましたが。若い看護婦さんが周りをウロウロして落ち着かないので帰る事にしました。薬を貰って病院の外に出て、改めて看板を見ると。消化器科の前に、産科・婦人科と書いてありました。私が選択を間違えたとは思えませんが。男の患者は珍しかったのかもしれませんね。



GS30(フェアレディZ 4人乗り)になっからは忙しい日々が続き外食が増えました。ある日、外出から帰ると、大家さんに出会い「これ玉子焼きなんだけど食べて下さい。」と、紙包みを頂きました。食べる暇が無く、冷蔵庫に放り込み。二日ほど過ぎた時。大家さんに出会ったので(忘れてたと思いながら)「ご馳走さまでした。美味しかったですよ。」と言うと。「あれ餃子だったの。」と言われ。「すみません。忙しくて食べる暇が無かったんです。」と謝り。餃子をお返ししました。頂き物の内容は確認した方がいいようです。



お友達が多いと食事に誘われる機会が増え。車が置けるファミリーレストランを利用する機会が増えました。毎回同じ物ばかり食べるのも飽きたので。メニューの先頭から食べていた頃でした。代わる代わる訪れる友達に誘われ、同じ店で昼食と夕食が、一週間続いた事がありました。3日目の夜でした、案内に出たウェイターが驚いた顔をしたのです。(なんか・・・ウェイトレス目当てに思われたかな?と)翌日、女の子に昼食を誘われたのを良い事に、またファミレスへ。ウェイターは安心したような表情に見えましたが。私の都合で、一回増えてしまい。連続14回(一週間)、通ってしまいました。この頃は、福島に帰って食べる食事が、とても美味しく感じました。



春の旅Ⅱの後で忙しい頃でした。夏休み福島に帰ると、T君に「アパートの鍵を貸して。」と言われました。私は鍵を渡して「何するの?」と聞くと。「横浜の彼女と待ち合わせをするんだよ。」と言っていました。(この暑いのに、あんな暑い部屋を使わなくてもいいのにと。)数日後T君が鍵を持って来て「冷蔵庫の卵が腐ってハエだらけだったから掃除しておいたよ。」と。そういえば福島に帰る際に卵が5個残っていたのを見て。(捨てる所は無いし、車の中で割れるとイヤだし、卵は常温で120日だから、戻ってから捨てればいい。と)電源を切って、戸を開けた冷蔵庫に置いて来たのです。
T君にお礼を言って。しばらくして、アパートに戻ると。3畳ほどの台所の床一面に小さなハエの死骸があり、冷蔵庫の卵が割れて流れた状態になっていて、周囲には小さなウジ虫の乾燥した死骸が沢山ありました。その夏は特別暑かったので、カリカリに乾燥していたので気持ち悪くは、ありませんでしたが。掃除が大変でした。幸いな事に台所と部屋の間の戸は、しっかり閉めてあったので被害は台所のみでした。うっかりでしたが。男やもめにウジが湧いてしまいました。



一人暮らしを経験したおかげで。炊事、洗濯、掃除を継続する事の大変さを痛感した為。妻には、大変感謝しています。「たまには、ご飯作って。」と言われますが。家事を手際よくこなす妻の前では気が引けるものです。