アマチュア無線 T


     

携帯電話機が当たり前の時代にアマチュア無線と言っても分からない若者が多いのです。そこで、私から見た当時のアマチュア無線の話しです。

携帯電話機との大きな違いは。
○無線従事者免許証が必要な事。
○交互通信である事(相手が話しをしている間は聞くだけ。)
○ラジオと一緒で。受信機があれば誰でも、会話を受信できる。



私が、アマチュア無線の免許証を取得したのは中学3年生の時でした。仙台の大学に行っていた兄(唯茂)が、休みに無線機を持って帰って来たのです。そして訳の分からない横文字を並べて誰かと楽しそうに話をしているのです。私は、カッコイイー!と。虜になってしまい、兄の薦めもあり免許を取る事にしました。
普通なら、高校受験で大変な時期に。日頃勉強なんてしない私が、狂ったように無線の勉強を始めたのです。それは、学校の休み時間も続き。英語の授業が始まった事に気がつかないほどでした。突然、参考書の上に手が現れ、驚いて見上げると。先生が立っていました。「何をしているんですか?」と聞かれ。私は、謝る事も無く「アマチュア無線の試験があるので勉強していました。」と言うと。先生は私の顔をジッと見て「続けなさい。」と言って授業を再開しました。もちろん、授業が始まった事に気が付かなかっただけなので直ぐに授業に参加しました。

無線とは関係ありませんが。この英語の先生には嫌われていたかもしれないのです。それは、中学2年生の時でした。20代半ばの女の先生なのに、女らしい優しさを感じなかったので興味が無かったのですが。授業をしている間、何故か教壇の机にスカートをこすり付けるのが気になっていたのです。ある日、ふと机の側面にチョークを塗ったのです。授業が始まって間も無く、先生の青いスカートには幅3cmほとの黄色い線が・・・。生徒の反応で気が付いた先生は「こんな事をしたのは誰ですか。怒らないから正直に答えなさい!」と。やり過ぎたと思った私は素直に「どうも、すみません。」と言うと。先生は「はい、分りました。」と言ってチョークを手で払い、授業を続けました。その後、何事もありませんでしたが。絶対に怒っていたと思います。



10月の試験で電話級アマチュア無線技士に合格。当時の試験は全て筆記式で。無線工学は、波長や抵抗値、電流・電圧・消費電力等を計算しなくてはならず。理科・技術家庭の成績が良かった私でも、かなり不安が伴いました。

中学生で試験に合格したのを聞いて、工業高校の先生が学校を訪れ。突然校長室に呼び出された時は、さすがに焦りました。(何がバレたのか?と) 福島の田舎では珍しい事だったのかもしれません。電信級アマチュア無線技士の免許証は、高校一年生の時に取得したものです。


高校一年生の頃だと思います。アマチュア無線のコンテスト(決められた時間内に。どれだけ多くの無線局と交信できるかを競うもの。)があり。唯茂君が大学の無線クラブで参加していると聞いて。自転車のカゴにやっと入るほど大きいトランシーバー(TR−1000)と50MHzの3エレメント八木アンテナ(分解しても1.5m×6本+2本)と2mほどの竹を自転車に縛り付けて信夫山第一展望台へ。そこで、八木アンテナを組み立て、竹ざおに取り付けて、仙台方面を向けて電波を出しました。残念ながら唯茂君は、何処かへ出かけたとの事で。同じクラブの人と話しをしただけで終わりました。やれやれと思い。アンテナを分解して駐車場まで下りてくると。良く相手をしてくれる、お兄様達が集まっていました。私以外にも自転車で登って来た人がいたようです。

電信級アマチュア無線技士の次は2級アマチュア無線技士だ。と勉強を始めましたが。周囲には無線に興味のある友達は全くいないので。オーディオやオートバイに興味を持ち。いつしか無線は忘れてしまいました。


そして大学に進学し。親の心配を押しのけて(だだをこねて)車を手にした時。唯茂君に「これを車に搭載しておけば役に立つ。」と言われて無線機を貰いました。
144MHzの無線機を搭載。東京で無線に出るきっかけは。学校の駐車場で車に乗ろうとした時。「アマチュア無線やってるの?」と先輩に聞かれ「今晩出てきなよ。」と誘われたのです。そしてB君達と出会う事になりました。
※アンテナの長さで、だいたいの周波数が判るので。この周波数を許可されているのはアマチュア無線局と判断するのです。



50MHz以上の周波数は電波の飛ぶ距離が短いので近くの人と話す機会が多くなり。無線局というより“電話ごっこ”でした。(全ての皆さんがではありません。)「誰か聞いていませんか?」と電波を出すと。暇な人や興味のある人が返事をしてくれて、会話が始まり。気が合えば仲良くなるというものでした。 この頃は、アマチュア無線をやっていれば直ぐに友達になれ、とても親切にしてもらえました。但し、北海道だけは。アマチュア無線の名を語った旅行者が、地元の無線家の親切に付け入ってドロボウをしていたらしく。給油の為、立ち寄ったスタンドで「アマチュア無線をやっている内地の奴はドロボウするからなー。」と言われ。北海道ではアンテナを取り外して走っていました。
そして主導権を握れるのは、電波が強く、暇で行動力がある事でした。アパート暮らしの私はアンテナの制限があり電波は弱いものの暇と足は十分にありました。

左、430MHz帯の無線機。右、ハンディ(車を離れた際に利用)こんな写真があるのは。雪室俊一さんが書いた[モービルハムの走らせ方]という本に掲載する為でしたが。やはり写真は女の子がいいですよね。(私の写真の参加は、アパートの外観のみでした。)


アマチュア無線局JA7HJO
無線局を開局するには。試験を受けて免許証を取得した後、使用する周波数、電波の形式、アンテナの種類等を電波管理局に申請し認可が下りれば。無線局のコールサインが貰え、やっと開局できます。何で、そんな話になるかというと。数年前HP参加者さんとアマチュア無線の話になり。私が「JA7HJOだよ。」と言うと。その人は、私をジッと見て「JA7HJOは沢山いるんですよ。」と。私「・・・・・?俺、本物だけど。」と。どうも、私が福島に、いない事を知っていた人が勝手に使っていたらしく。その数は5人や10人では無かったようです。唯茂君が良く利用する周波数とは違っていて、気が付かなかったそうです。私が福島で無線に出ていたのは、高校一年生の頃と、福島に帰った際に、唯茂君と交信していた程度なので。その他の交信は、私の偽者だと思います。JA7HJOが沢山いた、という事は。良い人も、そうでない人もいたと思います。心当たりのある方は、もう一度、思い出して下さい。