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大阪ミッドナイトで「出るとこ出たら、この10cmが利くやろね。・・・速度が出るほど手の内に入りきれんようになる。」という会話が。車の全長の話であるのは分かりましたが何の事だろうと考えていると。割り込みの事かな?と思いました。確かにギリギリの車間距離の中での10cmは大きいものです。私の車間距離10cmの思い出(上下)。福島から東京に戻る際には。食事の手間を省く為、昼食を食べ、夕食を持って出かけていました。その日は、何か用事が出来て、少し遅くなったのです。夕方の都内は避けたいと思っていると。パトカーに追い着いてしまい減速。パトカーは、インターで下りると見せかけ追跡。おかげで、また時間のロス。 |
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そして、大型トラックの行列。なかなか道を譲ってくれない大型ダンプに接近し。左右のミラーに映るように蛇行していると。やっとウインカーが点滅。一気に追い越す為3速にシフトダウン。目の前を塞ぐ大きな壁が、ゆっくりと開き、見えた物は。追い越し車線を完全に塞ぐ、大きな木箱でした。減速して横にいる大型トラックの後ろに入る距離も、落下物の前で止まる距離も無いと判断。横の大型トラックと、その前に割り込んだ大型ダンプの間、5m位に入る事に。(フェアレディZGS30は全長4425mmだから約60cmの余裕があると判断)落下物に向かい加速し、一気に割り込みました。トラックに接触した様子は無く、ミラーを見ると。大型トラックが直後に見え。次の瞬間落下物は、2.5m×2.5m×7〜10mほどの木枠に入り、ビニールに包まれた大きな機械のような物に見えました。(助かった!)と思ったものの。あまりに狭い隙間に入ってしまい、身動きが出来なくなってしまったのです。後ろの大型トラックに気を使い。大型ダンプのバンパーの下にZのノーズの下がった部分を滑り込ませ。後のトラックとの車間距離を稼いだのです。大型ダンプのバンパーまでの距離はフェンダーミラーから約20cmエンジンフードから約10cm。何が怖いかと言うと。大型ダンプが道路の継ぎ目で上下する度にバンパーが接触しそうな気がするのです。そして90km/hで動いているのに、目の前には大きな鉄の壁があるのです。私に出来る事は20cmの車間距離を保つ事と、大きな段差が無い事を祈るだけでした。後ろの大型トラックの運転手さんには、私の気使いが分かったらしく。強引な割り込みに怒る事も無く、静かに車間距離を開けてくれました。私は感謝の気持ちを表すべく。窓から体を乗り出し、後ろを振り返って手を振りました。その後は、全開走行で。夕方のラッシュの前に小金井に到着しました。時間と車間距離に余裕を持っていれば、こんな事にはならない話でした。という事で。ギリギリの車間距離なら、その10cmが明暗を分ける可能性があるという話なんでしょうか? |
GS30
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私にとってフェアレディZは、女神でありキューピットでした。
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flowerDの中で「Zに助けられたと感じる事が度々ありました。」と書いていますが。それは、オーバースピードでコーナーに進入してしまい。車が横を向いてしまっても、ステアリングから手を離せば。フェアレディZが勝手に姿勢を立て直してくれたからです。S30の頃は、オーバースピードでコーナーに飛び込む事は少なく。出口でのアクセルワークが雑で横を向き、一生懸命ステアリングを戻していました。そして、GS30になった頃には、コーナーへの進入速度が上がり。クリッピングポイント(コーナーの頂点)付近で横を向くようになり。ステアリングを35cmに取り換えてからの事でした。カウンターを当てる為に必死でステアリングを戻そうとしていると。右手の親指をスポークで強く弾かれ。ステアリングから手が離れてしまったのです。 |
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するとZは自らの意志を持つかのように危険を回避したのです。指はしびれて、しばらくの間ハンドルを握れませんでした。その後は、ステアリングがフッと軽くなるのを合図に、手を離し。アクセルオンで状況を見るようになりました。フェアレディZは、後輪の近くに座っているからリヤタイヤの滑り出しが分かり易いだろう。と言う人もいましたが。私は、リヤタイヤの滑り出しをシートでは無く。ステアリングで感じ取っていたのです。)車の動きが予想に反し、迷った時や反応が間に合わない時は、ステアリングから手を離せば、フェアレディZが自らの意志を持つかのように危険を回避してくれたので。フェアレディZは私を助けてくれる女神だったのです。 |
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劇中で生まれた男の子の誕生日で思い出した事。 |
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アホの18日生まれという人もいました。
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初代RX−7が発売された時。フェアレディZに乗っていた練馬区のN君と私は。中央高速で、一緒にRX−7の試乗をし。彼は、その動力性能とハンドリングが気に入り購入。私も、その性能には驚いたものの。調布インターのカーブを曲がっている際に、大きな不安を感じたので。購入を見送ったのです。試乗車を店に返した後で「あの車は怖い!」と言うと。「何言ってんだよ!お前の運転が下手なだけだろ。」と言われ。運転が上手いと思った事の無い私は、言い返す事が出来ませんでした。それを見ていたN君は「そうだ、そうだ。」と言って、一緒になって笑っていたので。それ以上は言えなかったのです。そして、黄色のRX-7を運転するN君を見る度に「気をつけろよ!」と心の中で唱えていたのです。それから約2年後。N君が事故を起こしたと聞いて、とうとうやってしまったか。と思いました。彼は、東名高速を白のRX−7で走行中、トラックとの間でトラブルがあり。スピンしてガードロープに突っ込んだと聞いて。フェアレディZに何度となく助けられていた私は。あの時、Zを選んでいればスピンなんてしなかったかもしれないのにと。とても残念な思いだったのです。初代RX−7が危ない車という事ではなく。フェアレディZには、運だけでは片付けられない何かがあるような気がしていたからです。 |
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車のせいでは無いと思いますが。24歳で、この世を去ったN君。フェアレディZのおかげで生き延びたと感じていた私。そんな思いがあったので“自らの意思を持つように走るフェアレディZ”という話には、いろいろと思い当たる事があるのかもしれません。 |
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そしてフェアレディZ(GS30)のキューピットぶりは、今となっては昔の仲間しか信じてもらえないほどでした。(私の錯覚でなければです。)
もっと沢山の事を思い出しましたが。なんと言っても30年も前の事で、だった気がすると言う話になるので。これで終了とします。 |
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