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年賀状を見ていると。元気なお爺ちゃん達?の写真がありました。福島のS君はマラソン。埼玉のT君は自転車。そして釣りを始めたという名古屋のS君のハガキには“老後の趣味が、ひとつ増えました。“と書いてありました。(娘が生まれた頃に会ったきりで。そういう歳なんだよな~。と)下関に呼ばれてから31年も過ぎていた事を思い出しました。S君の話をする時は「S君はね。中央高速に入る為の意地悪コースで、たった1人。悲鳴をあげなかった人で。眩しかったらサンバイザーを下ろしていいよ。と言えば目を閉じればいいんだよ。と、いつも落ち着いている人だよ。」と話します。そんな彼が、寂しそうに「遊びに来てくれよ~。」と電話をして来たのです。試験の前には、大変お世話になっていた事もあり。迷う事無く行く事になったのです。 |
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何故か福島往復。名古屋では、知多半島あたりで1日遊び回り。翌日、下関へ。中国自動車道路は広島から先が、一般道路の区間があり。名古屋から14時間もかかってしまい。下関には午前0時に到着。料金所の先にS君を見つけた時は、ほっとしました。S君の部屋に泊まり、目が覚めたのは午後3時過ぎでした。枕元に菓子パンが、ひとつ置いてあったので、食べていると。S君が来て「往診に行くから、ちょっと来いよ。」と、車に乗せられ。関門橋の近くの海岸で下ろされました。 |
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そして、焼け焦げて汚い、手付きの小さな鍋を渡され「あの辺の岩場に、小さな巻貝がいるから、これに入れておいて。」と言って走り去りました。疲れていた私は、こんな遠くまで来て何でこんな所に放置されるんだろうと思いながら。しばらくの間、誰もいない海岸にポツンと立っていました。しかし、やる事もないので貝を集めていると。30分位過ぎた頃。S君が戻って来て「沢山採れたな」と言って就職先の動物病院に戻りました。夕食は、院長先生のお宅で。ふぐの刺身と、ふぐ鍋で持成して頂きました。 |
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その後、S君の部屋で酒を飲む事になった時。貝拾いの理由が分かりました。酒と一緒に、あの汚い鍋が出て来たのです。S君は、巻貝を持ち注射針で中身を引き出し食べ始めました。私は「この針、古そうだけど。」と言うと「消毒してあるから大丈夫だよ。」と言っていました。煮てあるとはいえ、あんな所の貝。ケガしそうな使い古しの注射針。正常な状態だったら食べなかったかもしれませんが。塩味がして美味しかった気がします。 |
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翌日は、休みを貰ったS君と別府方面へ。10kmも走らないうちにダウン。ハンドルをS君に預け、ひたすら寝ていました。別府から萩へ。2年ぶりの萩は、私の記憶の萩とは、かなり違っていました。夕方、下関に戻り。エイタンという美味しい食べ物を教えてもらい、一杯。気持ち良くなったところで、船に乗って九州へ。途中「あれが巌流島だよ。」と教えられ。(巌流島って、こんな所にあったのか、と。) |
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そして電車で下関に戻り。ウニを食べに行き、一杯。高台のレストランのような所で、アワビの刺身で、一杯。このアワビが、とても美味しくて。横にあった白と青緑の妙な物体も気になり「これも食べれるの?」と聞くと「きも、だよ。食べれるよ。」と言われたので食べると。これが、また美味しかったので、つい飲み過ぎてしまい。その後の記憶が無いのです。 |
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3日目。目が覚めると、S君は既に仕事に出ていたので。病院に行き挨拶をして早々に九州に向かい。阿蘇山から日向に出て。フェリーで神戸へ。フェリーの中では、知らないオジサンに声をかけられ、酒を勧められ「どこまで行くんだい・・・。学生かい・・・。」と。私が素直に返事をしていると。自分の苦労話を始め「あんたも頑張るんだよ。」と励ましてくれました。翌日。オジサンにお礼を言い下船。 |
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港を出た所のガソリンスタンドで給油をし、道路に出ようとしていると。オジサンが運転する大型トラックが来たので。オジサンも気が付いたと思い。手を振ると。オジサンは大変驚いた様子でした。オジサンの勝手な想像を崩してしまった気がしたので。追いつかれないように、一機に名古屋へ。関ヶ原あたりで。減速していた新幹線を、追い越してしまう速度で走っていたせいか。予定よりガソリンが少なくなってしまい。カード払いの出来るスタンドを探していたら。高速を下りて200m位でガス欠。近くのスタンドから5ℓだけ運んでもらい。カード払いの出来る、いつものスタンドへ。給油してくれた兄ちゃんは。50ℓを超したあたりからソワソワし。60ℓを過ぎると、車の下を覗き込み。私に何か言いたそうな顔になり。75ℓで給油が止まった時は、とても嬉しそうな表情でした。当時の国産車で80ℓのタンクは珍しかったのです。
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そして、名古屋で1泊し。東京へ。この月は、唯茂君の結婚式があったので。また、福島往復。翌月、福島に帰ると。唯茂君に「ガソリン使い過ぎだな。」と、初めて言われました。結婚すると変わるもんだなと思いながら。請求書という物を初めて見て驚きました。請求金額は、いつもの倍で。そんな物だろうと思いましたが。請求書には、日付・給油所名まで記載されていたのです。私が給油をすれば、その月の行動が福島に伝わっていたのです。知られて困る事はありませんでしたが。何年もの間。その事に気が付かなかった事が、大変なショックでした。 |
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という事で。電話をすれば、フェアレディZが玄関先まで迎えに来る。食事で走る便利なアッシーを、一番遠くから呼びつけたのは、名古屋のS君でした。でも、この経験が無かったら。半年後の、上高地からの帰り道は。ドリフトを覚えた日では無く。購入7ヶ月目のフェアレディZを大破させた日(100km/h近い速度で土手に突っ込んで。生きていられたらの話。)になっていたかもしれません。それを考えると。S君には、感謝しなくてはならないのかもしれませんね。 |
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補足説明は、Flower Dで。 |
意地悪コース |
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33.flowerDについての質問Ⅰ。 |
上高地からの帰り道 |
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13.ど素人のドラテク。偶然極めた花屋ドリフト。 |
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34.flowerDについての質問Ⅱ。 |
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を、ご覧になって下さい。 |
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